熱いっ! 寒いっ!

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変化の前にいるときは、そのままに居れば良い。
不安や、心配は、感じるままに、じつとそのと機を待つ。


「下校の時間 」

学生の二人。雨を前に帰ることが出来ないでいる。傘がない。
雨が、雨音が、二人だけの空間を作っていく。

卒業式を前に、お互い抱えててどうしようも無いことがある。
また、相手の抱えていることをいくらか知っている。
これから、どうするのか。どうしようもない事も分かっていながら、自分の気持ちを相手に話す。
どうしようも出来ない状況を、話すことで、ほんの少し肩の荷を下ろしているかのよう。

ふざけあいながらも、時々、相手に対して、自分に対して、正直に話す。

雨から雪にかわる。状況は何も変わって無いのに。
ほんの少し笑顔になる。目の前にある境遇を受け入れて前に進む。

きっと、二人は学校を離れた後、会うことは無い。


「後厄」

印象的な言葉、「今はきついかなぁ」。ゆっくりとした言い方だけど重く伝わってくる。

繰り返される言葉「大人なんだから」。
どこかコミカルな物言いだけど、その後に続く言葉はない。想像できる、そのあとに続く言葉。

男の姉に猫をもらいに来た、元は恋人と思われる女。
重い空気の中、ギクシャクした3人の関係とは対照的に、働かないバイトとリーダーによる引っ越し屋の二人がコントのように絡んでくる。男は女に未練があるよう。

たぶん、猫を渡した後、二人が会うことは無い。

 ‐

寒さと熱さ、チラシ、演出、未成年と大人、未来と過去、正面と後ろ向き、いろいろな対比の中で繰り広げられるワンシーンを切り取った人間関係。

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糸あやつり 高岡親王航海記

ミコさんは天竺を目指す。しっかり者の付き人、春丸と秋丸、コミカルなジュゴン。

糸であやつり、あやつられ、一行は天竺を目指す。海をわたり、陸を進み、山を越え、時には時を越え。
怪しい怪物?化け物?に出会い、その怪しさを越える、ミコたち。

ラスト、彼らは天竺に着いたのか、着いたのならば、そこは現世かあの世か。 

糸あやつり人形の世界、観る前の想像でもう少し小さいかと思っていたけど、全くそんなことはなくて。
天野天街演出もあるだろうけど、舞台のあちらこちら全体で繰り広げられる世界。
時には舞台をはみ出して、全画面スクリーンのような映像とも絡まりながら。
最後は舞台から出できてたりもあり、非常に奥行きのある舞台でした。

 ー

http://itoayatsuri.com/
https://www.youtube.com/watch?time_continue=6&v=l5SAmz7sJXs

オペラシアターこんにゃく座「よだかの星」


オペラシアターこんにゃく座「よだかの星」を観てきた。

みにくい みにくい よだか。見た目で苛められることはあっても、自分なりに受け入れて生きてきたよだか。けれど、自分のなかに潜んでいた、今まで気付かなかった、ケダモノさに気付いてしまい、心のバランスを失っていく。

小学校の時に観た記憶しかなく、大人になって何を思うのだろうかと、縁もあり観に行くことに。オペラ仕立てで歌と芝居の2部構成。歌もパフォーマンスと組合わさってて目や耳が楽しい。やはり、後半の芝居の方に興味がひかれる。

今で言う「いじめ」の構図で始まるけれど、きっとそんな感情は人間だけのもの。動物の世界は、残酷なのが当たり前。それは、受け入れて居たように見えた、よだか。

しかし、追い詰められることで、自分の存在理由の矛盾に気づき、絶望に行き着いてしまう。自己矛盾に耐えられない、純粋な心。

最後、他の鳥たちには知られずに星になったのだけれど、残されたものは何を思うのか。何も思わないのか。

空には無数の星。ひとつひとつはどこからやって来たのだろう。

「しおとさとう」劇団放電家族

劇団放電家族「しおとさとう」を観てきた。

友人の自殺を目の前で見てしまう、しお。そこから物語は始まる。

人が死ぬということには、何らかの理由、死因があるはず。理由の周りに人は集まり、群がった人間たちによって、舞台は進められていく。

さとうちゃんに関係した人たちの、関わり方や生き方、過去の出来事が暴露され、その時はあった未来への想いなんかも示されながら、なぜ さとう は死につながる道へと進んでいったのか。

舞台上の役者は、死因を探す行為と、展開によって謎が解かれていく。
それを見ているこちら側は、死因のなぞの解かれ方と、ストーリー全体の繋がりを解き明かす行為を求められる。けどやっぱり途中で、何だかよくわからなくなって、最後は「へー!」とか「あれ?」とか「www」とか思ったりするので、観た後だれかと話して、答え合わせしてみたくなる。

さて、探した死んだ理由としての「原因」は、最後に提示されるのか?それとも謎のままなのか?

と、観客はお話を辿り推理する事以外にも、ストーリ展開、前後する時間、アドリブ、笑い、など舞台上の仕掛け
はたくさんあって。聞き逃す隙が無いくらい。たぶん、一度に全ては把握できない。

物語が始まる前からそこにある、シンプルな形の舞台、小道具、配置される役者たち、役割を与えられては姿を変えて
いく小道具。
必要な場面に応じて、ちりばめられては消えていく言葉や場面。生まれては消え、消えては生まれていくを繰り返す舞台。場面に必要なものを置くという「意図」も観られる。


 「意図」と「原因」


死んだ理由という自分の外にある隠れた「原因」を探し、そこに自分との関わり合いを見出して安心しようとしていたが、まったく誰かの「意図」によって、その「原因」が創り上げたれたものだったとしたら?

ストーリーと一緒になってお話を楽しんでいた見る側は、いつしか作り物の舞台を見せられて謎を解くように仕向けてくる。仕向けられたものなのか、自分でそれを選んだものなのか。

行動の原因、他人の意図、自分の意思、そんなものの絡みっぷりを考えながら、「しお」と「さとう」って、それ自体は打ち消し合うことなく、濃くなれば濃くなっただけの味がするんだよなとも思った。

「ヴェニスの商人」観てきた

ハラプロジェクト「ヴェニスの商人」観てきた。

ストーリーは知られているので省略。

ハラプロジェクトの演出。時代劇とヨーロッパの入り交じったパラレルワールド。ダンスやパフォーマンスは少な目に、けどハラプロらしさは、そこかしこに。

駆け落ちシーンのクルリと周る立ち姿が素敵だった。クルリ、クルリ、マワリ、マワリ、優雅に舞って、欺き、消える。

おひいさんは可愛くカッコよく。ヒロイン、ヒーロー、大岡越前守。裁く行いは、懲悪だけでなく、国を治める法のために。

あと、ハラさんの悪役はハマってたなw。悪い顔してたでw。

「一筋の縄」のくだりは一枚の絵のようで。ひさしぶりに観た七ツ寺でのハラプロジェクトは、舞台美術、役者、衣装、音楽、が交わる世界で舞台っていいなぁと改めて感じました。

それにつけても、おひいさん素敵だった。キレイな役者としてのカオもまた楽しみ。